先日、12/21に本サイトの2件のエントリー、「生田蕗子のある日の出来事」(12/17付投稿)、「生田蕗子と鬱」(12/21投稿)を削除しました。
このサイトではフィクション日記と称して、20代半ばを過ぎた自分の、ここ数年間の出来事や思いを多少、というかやや過剰の脚色を加えつつ綴っています。
しばらく前から、そういうものを形に残したいと思っていたところに、加入している@niftyのココログサービス開始の事を知り、このシステムであれば少しずつでも作成を進められるかと思い、こちらでのサイトの作成と公開を開始しました。
この数年の大きい出来事の一つに、家族の精神系の病気がありました。
この件が本サイト作成の大きな動機の一つとなっています。
以下、妄想であると嗤われるかもしれませんが、家族の症状に対する、誤りも含む自分の対応や思いを文章にし、その文章における誤解や対応の問題部分に、例えば専門家などからの症状に対する誤解を解けるような解説やアドバイスなどの注釈を添えた本があればいいなというようなことを漠然と思っていたことがあります。
本サイトの内容はその「妄想の本」の一部を含むものでした。
そして、先入観が強くて、思い込みが激しいという「語り手」の性格を表現するための(試みは今一つ成功してませんが)身辺雑記のような文章の中に、「妄想の本」における「本文」に相当する部分の投稿を始めました。それが削除した2件です。
自分の中では、「本文」は注釈による突っ込みを入れるための叩き台ですから、「誤解」を過剰に書こうとしている部分がありました。
12/21の投稿の内容に対して「偏見と無理解に満ちた文章である」というコメントを頂いたとき、「本文」に書かれた意図が読んでいる人に伝わったことを実感すると同時に、自分の「妄想」の中に他人を巻き込んでしまったことに初めて気が付いて恐ろしくなりました。
自分の中では、ありもしない「妄想の本」が全体で一つでした。
しかし、現実には投稿した文章はエントリー単位で読まれるものです。「本文」は何の前置きも注釈も付けずに公開できる性質のものではありません。私はそんなことにも気が付かず、「偏見と無理解に満ちた文章を垂れ流し」ていたのです。
指摘していただかなければ、私は気が付かないまま延々と、関係者の方々を傷つけ、そうでない方に対しては偏見を植えつけていたのです。
ご指摘を頂いた方には、ご迷惑で不愉快な思いをされたことだと思いますが、感謝しています。
(お大事に……)
「妄想の本」の内容は、「あるべき形」になるまで公開はしません。形になるかもわかりませんし、このサイトで公開することはないでしょう。
本サイトの閉鎖も考えていましたが、装飾であった「身辺雑記」部分を書くのが案外面白いので、ストーリーにはなりませんが、この系統の内容でしばらく続けさせていただこうと考えています。
しかしまぁ、何というハンドルネームをつけたのだと思いつつ。
鷲野不覚
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